慣れるもんだね
彼女が来てから、1週間が経ちました。
長かったぁ。
彼女というのは、生後2ヶ月のメス猫、ジョーのことです。
野良生まれの、野良育ち。悪そなヤツはだいたい友達。
そんな猫ちゃんです。
ようやく、sonoda邸での日常に、彼女も慣れてきてくれたみたいで、
私が部屋にいても、カーテンの陰からテクテク出てきて、部屋と台所を行ったり来たりするようになりました。
ご飯も、私の行動を気にしつつも(ちょっとでも動くとビビる)、むちゃむちゃ言わせながら食べます。
もーう、ホントかわいい〜(ほろり)
ああ、やっと、彼女のこと「かわいいー」と言えるようになりました。
最初はどうなるかと思ったです。
「自分以外の他者」と生活するって、こんな感じかぁー。
「慣れる」のに、時間が必要なんですねぇ。
10コ以上離れた後輩たちが結婚したり、出産したり、どんどん変化していって、生活を「自分以外の他者」と作り上げているというのに、
私は他者と離れることばかり考えていて、
なんというか、猫との暮らしは、
「自分以外の生き物と暮らす」というリハビリになっています。
仔猫をくれたAちゃんに、「ジョーとの生活はリハビリだ」というと、
「リハビリ、て、sonodaはまだ誰とも生活したことないのに、リハビリ?」
と言われましたが、
私にとっての「誰かとの生活」とは、父と母との生活のことを指します。
誰かと暮らすことは、イコール「支配されること」「支配に依存すること」という意識から、
一人で暮らすことで、少しずつ離れていきました。
それは、私には大きな進歩だったんです。
大人になる過程を遅ればせながら歩み出したというか、
やっと、自分の判断で行動し、その行動に自分で責任を取ることをし始めたんです。
「ああ、なんでもっと早くに抜け出さなかったんだろう」と思いましたが、
30になっていようが、
そのとき抜け出そうと決心したときが、わたしにとっての時期だったんでしょうから、
時間が人より掛かったからといって、どうってことないよ。
と自分に言い聞かせています。
ジョーと生活を始めて、
自分以外の者が、生活の中にいるって、なんというか、
悪くないと言うか、素敵と言うか、
「〜してあげよう」とか、「〜しないでいてあげよう」とか、
なんか、自分なりに思いやることが、
「あ、悪くないなー」なんて、
おまけに、ジョーのこと、かわいいなーとか思えるようになって、
なんか、漠っとした感じでいうと「いい感じ」です。
ジョーが、私に対して、いちいち「フー!フー!」と怒る姿に悲しんでいたとき、
幼い頃、私が母に対して敵意を剥き出しにして、更に母から憎しみの目を向けられたことを思い出しました。
ずっと、子ども側の目線で、母に腹をたてていたけれど、
ジョーにフーフー言われて、
初めて母側の気持ちを体験しました。
おまえのことを大事にしたいのに、って泣ける気持ち。
大事にしたいのに、っていうのも、エゴだけど、
それに対して、敵意を向けられるのが「悲しいこと」という体験ができたことは、
よかったです。
これから、ジョーとの生活の中で、私はまた、何か変わっていくんだと思います。それも、いい方へ。
長かったぁ。
彼女というのは、生後2ヶ月のメス猫、ジョーのことです。
野良生まれの、野良育ち。悪そなヤツはだいたい友達。
そんな猫ちゃんです。
ようやく、sonoda邸での日常に、彼女も慣れてきてくれたみたいで、
私が部屋にいても、カーテンの陰からテクテク出てきて、部屋と台所を行ったり来たりするようになりました。
ご飯も、私の行動を気にしつつも(ちょっとでも動くとビビる)、むちゃむちゃ言わせながら食べます。
もーう、ホントかわいい〜(ほろり)
ああ、やっと、彼女のこと「かわいいー」と言えるようになりました。
最初はどうなるかと思ったです。
「自分以外の他者」と生活するって、こんな感じかぁー。
「慣れる」のに、時間が必要なんですねぇ。
10コ以上離れた後輩たちが結婚したり、出産したり、どんどん変化していって、生活を「自分以外の他者」と作り上げているというのに、
私は他者と離れることばかり考えていて、
なんというか、猫との暮らしは、
「自分以外の生き物と暮らす」というリハビリになっています。
仔猫をくれたAちゃんに、「ジョーとの生活はリハビリだ」というと、
「リハビリ、て、sonodaはまだ誰とも生活したことないのに、リハビリ?」
と言われましたが、
私にとっての「誰かとの生活」とは、父と母との生活のことを指します。
誰かと暮らすことは、イコール「支配されること」「支配に依存すること」という意識から、
一人で暮らすことで、少しずつ離れていきました。
それは、私には大きな進歩だったんです。
大人になる過程を遅ればせながら歩み出したというか、
やっと、自分の判断で行動し、その行動に自分で責任を取ることをし始めたんです。
「ああ、なんでもっと早くに抜け出さなかったんだろう」と思いましたが、
30になっていようが、
そのとき抜け出そうと決心したときが、わたしにとっての時期だったんでしょうから、
時間が人より掛かったからといって、どうってことないよ。
と自分に言い聞かせています。
ジョーと生活を始めて、
自分以外の者が、生活の中にいるって、なんというか、
悪くないと言うか、素敵と言うか、
「〜してあげよう」とか、「〜しないでいてあげよう」とか、
なんか、自分なりに思いやることが、
「あ、悪くないなー」なんて、
おまけに、ジョーのこと、かわいいなーとか思えるようになって、
なんか、漠っとした感じでいうと「いい感じ」です。
ジョーが、私に対して、いちいち「フー!フー!」と怒る姿に悲しんでいたとき、
幼い頃、私が母に対して敵意を剥き出しにして、更に母から憎しみの目を向けられたことを思い出しました。
ずっと、子ども側の目線で、母に腹をたてていたけれど、
ジョーにフーフー言われて、
初めて母側の気持ちを体験しました。
おまえのことを大事にしたいのに、って泣ける気持ち。
大事にしたいのに、っていうのも、エゴだけど、
それに対して、敵意を向けられるのが「悲しいこと」という体験ができたことは、
よかったです。
これから、ジョーとの生活の中で、私はまた、何か変わっていくんだと思います。それも、いい方へ。




